01
「はーん。深川先生がパイズリねえ」
「しっ。誰かに聞こえたらどうするんだよ」
「誰にも聞こえないって。みんな帰ってるよ」
和也の言うように、廊下には人の気配が感じられなかった。普段は騒がしい廊下も、下校時間を過ぎてしまえば閑散としていた。
「でも俺が倉庫の整理をしている間にずいぶんといい思いをしているな」
先の一件で、和也は倉庫の整理を命じられていた。そういえば、みなみは部室の掃除を終えただろうか。
「そういえば、星野さんはどうしたんだ?」
「ああ、先に帰った。『お大事に』だってよ。あーあ。俺もどうせなら倉庫より部室の掃除の方がよかったぜ」
あれから――コーヒーを飲んだ圭介は、保健室を後にした。名残惜しさというか、まだ未練が捨てられないでいたが、下校を告げるチャイムが鳴り響き、渋々帰らざるを得なかった。
「また来てもいいわよ。あっ、でも不謹慎か。保健室は本来来るところじゃないしね」
「そうですけど……あの、また来たら、その、してくれます」
最後の方は消え入りそうな声だった。そんな圭介の言葉に、麻衣は声を出して笑った。
「もう。エッチねえ。でも、健全な男子高生なら仕方がないか。私よりも早く彼女でも作ってその子にしてもらいなさい」
頭を撫でられるのを、圭介は黙って受け入れるしかなかった。
「ほら、早く荷物を取りに行って来いよ」
保健室を後にし、角を曲がると倉庫の整理を終えた和也と出くわした。怪我のことを話し、麻衣としたことを話しながら歩いていると二人は新聞部の部室まで来た。
まだ七瀬と伊織はいるのか。携帯電話に何の連絡もなかったが、もしかしたら心配して待っていてくれているのかもしれない。圭介はノックをすると、中から返事はなかった。
扉を開けてみると、淡い期待は消え去った。二人の姿はなく、荷物もなかった。
やっぱりそうか。二人にとって自分は結局便利屋なのだ。どこかでサボっているのだろうと思われて愛想をつかれたのかもしれない。
そう思うと、空しさが込み上げてきた。自分は何のために活動しているのだろう。
邪な気持ちを持つ自分が悪いのか。見返りを心の中で期待していることが悪いことなのだろうか。
ふいに込み上げてきそうになる涙をこらえると、圭介は“ある物”を見つけた。
「ハンカチ?」
床にハラリと落ちた花柄の布。誰かの忘れ物のようだ。伊織だろうか。それとも七瀬だろうか。
位置的には、伊織の方が近い。七瀬なら明日でも来るだろうが、伊織はいつ来るか分からない。自分が預かっておいて、廊下ですれ違ったときにでも渡せばいいだろう。
ハンカチを手に取り、ポケットに忍ばせようとした瞬間、ふと圭介は思い立ってハンカチのにおいを嗅いでみた。
洗剤のにおいに紛れ、どこかで嗅いだことがあるようなにおいがした。