第二十一章「運命」
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 恋人の間で流れるような雰囲気ではなかった。むしろいつ別れを切り出されてもおかしくはない重たい雰囲気だった。ウキウキとした気分なんて夏の夕立の雲のように姿を消していた。

「え、絵梨花さん」

「なあに」

 ピアノに置かれていた楽譜をしまう音がやけに大きく聞こえた。

「お、俺は絵梨花さん一筋ですから」

「ふうん。橋本先輩は?」

「あ、あの人は俺のことをからかっているだけです。最上級生だからって。見てわかるでしょ? 『クイーン』なんかじゃなくてドS番長ですよ。数少ない男子生徒をからかっては、楽しんでいるだけなんです。信じてください」

 もしも自分にカメラが取り付けられていたとしたら、とんでもないことになっていた。狼少年をも上回る自信がある。

「ドS番長か。確かに」

 クスリと絵梨花が笑って、圭介は“いけそうな”気がした。幸いにも絵梨花はまだ自分のことを嫌ってはいない。このまま押し切ればうやむやになるはずだ。

「そうだよ。あの人、人が困っているのを見るのが好きなんだ。きっと後輩の絵梨花さんに彼氏が出来て嫉妬しているんだよ。うん。そうに違いない」

「でも橋本先輩すごい綺麗だよ? 彼氏がいてもおかしくないし」

「上手くいかないんだって。人を奴隷のようにしか見ていないから。どうせ彼氏がいたとしてもあれでしょ? 男のプライドをズタズタにして喜んでいるんだよ。だから、上手くいっている俺たちを見て嫉妬しているんだ。で、あらぬことを絵梨花さん吹聴しているんだ」

 ドラマでよくある犯人の説得を試みる警察官か、探偵のようだ。けれども、どんな格好であっても絵梨花と別れたくはなかった。不恰好でもこの場を切り抜けたかった。

「なんだか圭介君って橋本先輩のことをよく知っているっていうか、ずいぶんな言い方だよね」

「そ、それは新聞部だよ。そう、新聞部。取材であの人のことは知っているんだ」

 予定があればすぐに休むような部活であったのに、まさかこんな形で役に立つなんて。一瞬、七瀬の悲しい顔が浮かんだが、すぐに頭から消し去った。
 これまで貢献してきたじゃないか。入部して以来、幽霊部員の伊織の代わりに、美術部と兼任してほとんど部長としての役割を果たさない七瀬の代わりに。西へ東へ奔走してきたのだから、こんなときぐらい利用させてくれても罰なんて当たらないだろう。

「ふうん。そうだよね。圭介君は新聞部なんだよね」

「そ、そうだよ。おかげで絵梨花さんとこうして出会えたわけじゃないか。運命だよ。これは」

 何かの雑誌の記事だったと思う。もしかしたらインターネットかもしれないが。
 女は運命に弱い生き物だと書いてあった。運命を強調しても仄めかしても、女は運命の二文字に酔うという。その知識が圭介の頭の片隅にあったのか、満を持して出てきた。

( 2017/07/01(土) 00:25 )