第二十章「青いケーブル」
01
 麻衣と談笑していると、コーヒーが残り半分まで減っていた。全部飲みきってしまうのは、勿体無い気がした。カップの中を空にしてしまえば、楽しい時間が終わるような気がしてならないのだ。
 すっかりと温くなってしまったコーヒーを飲み干すのは容易いことだ。ならばいっそのこと二杯目を求めてはどうだろう? 喉が渇いたからといえば、麻衣ならば淹れてくれるはずだ。

「あの、養護教諭って楽しいですか?」

「何? 藪から棒に。もしかして女の子の裸が見たいから?」

「違いますよ。素朴な疑問です。ほら、普通の先生とはまたちょっと違うじゃないですか」

 麻衣は腕を組むと、考え事をするように眉間に皺を寄せて上を向いた。蛍光灯を睨むように、ウーンと唸った。

「楽しいといえば、楽しいわね。でも、複雑ね。正直、私がいない方がいい職業だから。勿論、みんな人間だから怪我もするし病気にもなるけど、健康で保健室がいらない生活が理想よね。あと、感情移入っていうのかな。卒業式でみんな先生に感謝するじゃない? 花束とか持ってさ。泣きながら『先生、三年間ありがとうございました』って。感動の場面があんまりないのよね。中には元から身体が弱くて、保健室通いの子に感謝されることはあるけど。卒業式を見ても、そこまで深く感動できないのよね。彼女たちの担任の先生くらいまで深い関係を築けないから」

 そういうものか。圭介は頷きながらコーヒーを少し飲む。

「何だか寂しいですね」

「じゃあ北野君が卒業するとき、壇上に上がってもらって私への感謝の気持ちを読んでもらおうかしらね。卒業式の答辞で。その頃まで私がいるとは限らないけど」

 クスクスと笑う麻衣に、圭介は頭を掻いた。

「先生はいますよ。この学園に必要ですから」

「嬉しいことを言ってくれるじゃない。もしかして私を落とそうとしてる? やーねー。神聖な学び舎で年上の養護教諭を落とそうだなんて」

「いや、違いますって」

 そのときだった。保健室の扉が音を立てて開かれた。

「深川先生います?」

 見知らぬ女生徒だった。ビブスを付けたユニフォームを見るにサッカー部のようだ。

「どうしたの?」

「ちょっと練習でこの子が足を怪我しちゃったみたいで」

 数人の女生徒に担がれるようにして足を引きずらせた女生徒が入ってきた。

「じゃあ失礼します」

 ここまでか。こんな形でタイムリミットになるとは思ってもいなかったが仕方が無い。圭介はコーヒーを飲み干した。

「あっ、うん。今日はありがとね」

「また何か手伝えることがあればいつでも手伝います」

 圭介は女生徒たちの横を通り過ぎ、保健室を出た。

( 2017/06/26(月) 22:07 )