第一章「満員のバス」
03
 授業もどことなく上の空で聞いていた。今朝の出来事が頭から離れなかったのだ。弾力のある尻もそうだが、何よりもあのアイドルのように可愛らしい顔立ちに、圭介は心を奪われてしまっていた。
 彼女は一体誰なのだろう。クラスメイトでなければ、同級生とも考えられなかった。おそらく、先輩のはずである。だが、圭介には彼女のことを尋ねられるクラスメイトはいなかった。

 廊下を歩くたび、彼女とすれ違わないか無意識のうちに探している圭介がいた。足を踏まれて始まる恋――彼女がこれまで出来たことのない圭介は、心のどこかでラブロマンスを期待している。
 そんなバカげたドラマのような展開があるのかと思う反面、もしかしたらという淡い期待が頭から離れないまま、圭介は部室の扉を開けた。

「ああ、北野君。お疲れ様」

 部室にはすでに一人の女生徒がいた。

「部長。早いですね。お疲れ様です」

 部長と呼ばれた西野七瀬は歯を覗かせた。
 圭介が入部しているのは、新聞部だった。男子生徒である圭介が入部出来る部は限られていて、西野七瀬から部員が少なくて困っていると泣き落としのような説得を受けて入部した経緯を持つ。

「部長は美術部の活動はないんですか?」

 西野七瀬は美術部と兼任している。もっとも、あちらでは役職はないのだが。

「ないで。まあ、美術部はみんなでワイワイやるより、一人でコツコツやる方やから個人的にやっているといえば、やっているかな」

 美術部が精力的に動くのは絵画展に提出をする時期か、文化祭の展示物を描く時だけだという。だから、彼女は新聞部と兼任をしている。
 以前、どうして新聞部を兼任するか訊いたことがあるが、どうやら彼女と仲のよかった一つ上の先輩が新聞部と兼任しており、卒業をしてしまうから七瀬が引き継いだという。新聞部は現在部員が圭介を含めて三人しかいない。

「ところで、伊織ちゃんは何か訊いてる?」

 圭介と共にほぼ強引に入部させられたのは、相楽伊織だった。艶のある長い黒髪が特徴的で、あまり喋らない生徒だった。

「いいえ」

 たまに顔を出す時があるが、ほとんど彼女は欠席しており、幽霊部員に近かった。強引に勧誘した手前、七瀬はそのことを咎められなかったし、伊織がいなくとも圭介がいれば活動は回せた。
 一応、圭介は伊織の連絡先を知っている。が、一度も連絡を取ったことがなかった。七瀬とは業務以外の連絡をしたこともなかった。
 伊織にしても七瀬にしても、圭介にしてもみんな奥手だった。入学して早々、七瀬から助けてくれと泣き落としをされた以来、彼女からは遊びはおろか、一緒に帰ろうとも誘われなかった。

 部員が三人で、ほとんど七瀬と二人きりなのに、互いの呼び名は入部してから未だ変わっていないことが何よりの証拠だ。

( 2016/07/18(月) 15:16 )