02
展示されているギャラリーの中はヒヤリとエアコンがよくきいていて、背筋が伸びるようだ。俺は深呼吸してホールに向かう。
駅から少し歩いたところにあるそのホールは、普段はさまざまな展示会をしていたり地域の人の発表会の場所となっていて何度か来たことがあった。週末と言うこともあってフォトコンテスト会場は賑わっていた
受賞者の写真が部門ごとに並ぶ。俺はそれを流し見しながら、自分の写真を探した
「え!これすごく素敵」
「ほんとだ、このモデルの子可愛い−」
後ろから誰かが話す声がして何気なく視線を向けると
「・・・・・っ」
ポスターサイズに拡大された1枚。その1枚は脳の奥底に焼きついている。写真の中から優しくほほえむオレンジの瞳に俺は息をのんだ。
ああ・・・
保乃は・・・やっぱり綺麗だ
夕日が差し込む放課後の教室。午前中に降っていた雨が窓に少し残っていて、光に照らされたそれはまるでプリズムのようで、淡いオレンジ色の中で窓際の席に腰掛けて頬杖をつく一人の女の子。口元を半分隠したまま俺の呼びかけに小首をかしげるその姿も、昔からの癖で眉毛が少し垂れ下がるのも、口の表情も、「ん?」と今にも聞こえそうな声も
「なっえっ・・・なにこれ?」
声のした方へ振り返ると、そこには保乃が立っていた。汗ばんだ額に張り付く髪を気にしながら状況を理解できない様子できょろきょろ視線を泳がしている
「よかった、来てくれて」
「だって・・・・蒼の一生のお願いとか言うの初めてだったし」
保乃は写真と俺を交互に見ながら、大きな瞳を揺らす
「保乃・・・ごめん、あの時の写真・・・賞取っちゃった」
てっきり俺は「何勝手に」とか「恥ずかしい」とか返ってくると思って身構えたけど、保乃のリアクションがない。困ったような、少し照れたような、でも泣きそうな複雑を浮かべて写真を見つめている
「す・・きな・・ひと」
保乃は消えそうな声で小さく呟いた
〈すきなひと〉
それがこの写真の俺がつけたタイトル
「そう、好きだから保乃のこと」
10年近く、言えずにずっと閉じこもっていたこの気持ち。一度伝えてしまったらもうセーブできないほどの感情があふれ出す。
「す、すきって」
「家族みたいとか、幼なじみとかじゃない、保乃はずっと特別なんだよ。もう足りない仲のいい幼なじみじゃ」
「・・・」
目に涙を溜めて必死に耐える保乃をみてたら、なぜか緊張の糸が緩んでふっと笑みがこぼれてしまった
「ごめん、何も説明と貸せずに来てもらって、どうしても保乃に見て欲しかったから、俺の目保乃はこんな風に映ってるって」
視線を保乃の写真に移す。保乃も俺につられるように写真に向き直った。じっと壁に飾られた写真を見つめていた保乃が瞬きをした瞬間、1粒の涙が溢れ出した。
「私・・こんな顔してるの?」
「え?」
「蒼に・・・私こんな顔してたんだって・・・なんか恥ずかしいな」
保乃はふふっと笑って指で涙を拭った
「ずっと、蒼の一番近くに居るのは私だって思ってた。でもそれは、大事な幼なじみだって、だから・・このモヤモヤした気持ちもヤキモチなんかじゃないって思ってたの」
後ろに、他のお客さんが通る気配がして、保乃がハッと振り返る。俺は保乃の手を引いて展示スペースの視覚に移動した。繋がれたままの手をお互いに無言のまま見つめる。
放課後の教室も
キッチンでも
そして今も
手のひらの中の小さくて華奢なその手は何度も折れにこの気持ちを再確認させる。
「こうやって・・手を繋いだときの気持ち、そういうじゃないって言い聞かせてたけど蒼のカメラに映るのは、私だけじゃないと嫌だって気づいちゃった」
一度俯いて小さく息を吐いて、それから再び顔を上げた保乃は、赤く染めた顔を綻ばせてふにゃっと笑った
「好きだよ・・・蒼のこと私も好きになってたみたい」
「ねぇ・・なんか言ってよ」
保乃がしびれを切らしたように呟いた。「あ・・」と絞り出した俺の声は思いの外掠れていて数秒息が詰まっていたことに気づく
「保乃・・・やっばいな・・・・抱きしめてもいいですか」
「!」
保乃は俺の言葉に一瞬目を見開いて、ちょっと困ったように笑う。
「あはは、なんで急に敬語・・」
言い終わる前に、俺は保乃の体を引き寄せて、包み込むように抱きしめた。
あったかい・・
父さんがなくなった日以来、10年ぶりくらいに抱きしめた保乃は、あの日と変わらない温かさで、こうして俺の腕におさまっている保乃が震えるほどに愛おしくて、それに保乃も応えてくれてるという奇跡のようでそれは現実。
「あれ?もしかして泣いてる蒼」
「・・泣いてない」
「え?嘘!」
「・・ちょっと勘弁して。今俺いっぱいいっぱいだから」
なんとか声を繕うけど鼻を啜った声で保乃にはバレてしまった。
「あはは、それ一生ネタにしてやろう!」
保乃は俺の腕の中で可笑しそうに笑った。
「一生?」
「そう!事があるごとに、あのとき蒼君泣いてましたよねって」
「ふーん、じゃー一生一緒にいないとな俺たち」
「え?・・・あっ」
「まぁ俺は絶対に離さないけどな・・・10年思い続けたの甘く見るなよ」
目を細めて保乃を見下ろすと、保乃は逆に目を丸くして俺を見上げていて「なにそのキザな台詞、蒼らしくない」と声をあげて笑った
「あのさ・・・こういうときくらいかっこつけさせてよ」
「私だって・・・離れてやらないから、覚悟してよね」
保乃は俺に向かって指差しのポーズをした
「これからも蒼一緒にいてね」
「それってさ」
「うん!一生のお願い!」
あーあずるいなぁ、俺保乃のその笑顔が大好きなんだよなー
そんなの叶えないわけにはいかないじゃないか、まぁそれも仕方ない。惚れた弱みってやつだろう
俺は吸い寄せられるように、頭一つ分背を屈めた。そしてそれに気づいた顔をあげた保乃の頬にそっと唇を寄せた。触れたのはほんの少し。薄めをあけるとすぐ横には目を見開いた保乃の顔
「誓いの・・・なんとかってやつ?」
目の前の澄んだビー玉みたいな丸い瞳に一瞬怯みそうになる。だけど俺はもう保乃から目を逸らしたりしない。
そのとき、突然保乃が俺の肩に手を置いたかと思えば「ん!」唇に何かが押し当てられる感触
ちょっ!え?
今度は俺が唖然として目を見開く番だった。保乃はしてやったりの顔で俺に言い放つ
「それなら、こっちでしょ」
嘘だろ
不意打ち過ぎで咄嗟に何もできなかった俺。かっこわるすぎるだろ。だけどこんな大胆なことをしておきながら肩に触れている保乃の指先が震えていることに気づいてしまった
「保乃・・・真っ赤だ」
俺が囁くと「うるさい」と顔を覆う保乃。そんな保乃が可愛くて俺は思わず吹き出した。2人そろって熱を帯びた顔をばたばたと扇ぎ合う。
「じゃー帰ろっか?彼氏さん」
「はい、お姫様」
「あーそうだ・・・牛乳パックに口付けて飲むのこれから禁止だからね!」
「え?は?あー・・・はい」
「よし!帰ろう蒼」
田村保乃
そいつは俺にとっては一生敵わない相手であり
そして
「好きだよ・・保乃」
俺のすきなひと