5 愛しい人
02
あれから、なんだかんだパソコンに写真のデータを転送したりするのもやることになって、結局帰る頃には夕焼けに空が染まっていた。日が落ちかけたオレンジの空を眺めているとあの日の放課後を思い出す。


「蒼−」

「・・え?」

自宅を目前に突然呼び止められて、物思いに耽っていた俺は思わず、間抜けな声を出してしまった。

「保乃・・」

「おかえり。結構遅くまでやってたんだね」

玄関を出てきたばかりの部屋着の保乃は、小さい鍋を両手で持って俺に近づいてくる

「今日、蒼のおばさん、同窓会で居ないから、蒼の夕飯もうちが作ってたの、おばさんから鍵預かってたから今ちょうど届けようと思ってたんだけど、ちょうどよかった、はいカレー」

受け取った鍋からはスパイスのいい香りがする。保乃のおばさんが作るカレーは絶品で正直母さんのよりうまい

じゃ、と言って帰ろうとする保乃を「待って」と俺は反射的に呼び止めていた

「ん?何?」

「えっとー、なんだ・・あれだよ、シャワーしたいから、その間に保乃がカレー温めてよ」

我ながら意味不明だ、でも引き留める口実なんて持ち合わせていない

「いや、ふふっ、亭主関白か!」

保乃が久しぶりに俺に向かって笑った。ズキンと心臓が音を立てる。やばい・・保乃の笑顔がこんなに嬉しいなんて、ただの言葉なのに亭主関白という響きをついつい噛みしめてしまう

「もう仕方ないなー・・すぐ入ってきなよ」

「・・おうサンキュー」





風呂から出て、部屋着に着替えて濡れた頭をタオルで拭きながらリビングに足を踏み入れた

「あーめっちゃいいにおい」

カレーの食欲をそそる香りと、キッチンで鍋をかき回す保乃の姿。普段母さんが付けている見慣れた青いエプロンも保乃が着たら新鮮で、なんだか新婚みたい・・なんて妄想が浮かんできて、俺の理性総動員で打ち消した


「そういえば、蒼髪の毛短くしたんだね。なんか久しぶりに見た気がする。なんか心境の変化ですか?」

「まぁ」

「ふぅん」

自分から聞いといて、さほど興味なさそうな返事。俺はそんな保乃に苦笑いを浮かべながら横から近づいて鍋を覗き込んだ

「うわ!」

俺の気配に気づいていなかったのか、保乃はびくっと体を弾ませた。その拍子にお玉からはねたカレーが保乃の手に飛ぶ「あっつ!」「おい!ちょっと」俺は反射的に手を掴んで流しの蛇口をひねった

「跡にならないといいけど」

「うん・・」

「ごめん、俺が急に話しかけたから」

「や、違うよ、大丈夫だからもう」

保乃が少しだけ振り返って、俺を見上げた。保乃の手を冷やすのに必死で、距離なんて考えてなかったから、必然的に上目遣いになる至近距離からの視線に俺ははっと手を緩める、保乃も同じタイミングで視線を元に戻した

「なんか・・・蒼の体冷たいよ」

「え?あっ、シャワーで水浴びたからかな」

「風邪引いちゃうよ、そっち座ってて持って行くから」

「うん」お互いの間に流れるのはぎこちない空気で、きっとそれは保乃も感じている。それが俺の行動のせいであることは間違いないけど、そのことに何も触れない、触れたがらない保乃の考えていることが、いまいち分からない。一番向き合わないといけない相手にあと一歩踏み出せない臆病な自分にあきれてしまう。




about5 ( 2020/02/16(日) 22:20 )