3 それはきっと
04
「あーーー、なーんーで夏休み目前というのに、俺たちはこんなことをしているんだよ」

机に積まれたたくさんのプリントを前にして、佐野が項垂れて嘆いた。

「そりゃーおまえが授業中に寝てたからだろ」

パチン、パチンと淡々とホッチキスを動かしながら、俺は冷めた目でそのプリントの束を見下ろした。

「いや、あれは・・体育のあとはな、睡眠じゃなくて休息なんだよ」

「結果それは同じだから」

めんどいーと机に突っ伏した佐野を余所に、俺は次々と束を留めている。たまたま一緒にいただけの道連れになった俺のみにもなれよな。放課後の教室で、男2人黙々と作業って、いくら暇な俺でも悲しいもんがある。

「全クラス分の夏の課題のプリントとか拷問かよ、あいつ。あーちょっと飲み物買ってくる。もちろんおごらせてもらいますんで−」

「じゃー俺コーヒー」

「了解」一向に終わる気配のないこの作業を前に佐野は、財布を片手に自販機に向かう。佐野の背中を見送りながら俺も背筋を伸ばして手を休めた。



ふと、廊下から数人の話し声がする。

「見た?今田村居ただろ」

田村?急に保乃の名前が耳に飛び込んできて、俺は思わず、その会話に耳を向けた。

「相変わらず、スタイルいいよなー」

「性格も良くて、よく笑うしなー」

「そりゃーおまえがフラれるはずだよなー」

「おい、それ言うなって」

盛り上がりながら、どんどん小さくなっていく話し声。はぁーと大きく無意識に息を止めていた俺は吐き出した。

そうだ、保乃は普通にモテる

分かってはいたけど、実際の他の奴らのああいう話を聞くと、思い知らされる。俺はさっきのやつみたいに気持ちすら伝えていないから、いらつく権利も嫉妬する権利もない。


あーーー

っと俺はもう一回椅子の背もたれに倒れるようにのびをすると、突然教室の後ろのドアが開いて

「あ、やっぱり蒼だ」

部活のジャージ姿の保乃がひょっこりと顔を出した。

「保乃、なんでこんな所に」

動揺を隠してなんとか冷静を装う俺に向かって、保乃は困ったように肩眉を下げながら「サポーターを教室のロッカーに忘れてて取りに来たの。それでちょっと・・・寄り道」

歯切れの悪い保乃の様子を見て、俺は大体事情を察した。下駄箱でさっきの奴らと鉢合わせしたくないんだろうな

「・・・ふーんあの男に告白されたんだろ?」

「あ蒼にも聞こえてた?もーさああいう話は本人に聞こえないようにしてほしいよね」

ドアにもたれかかりながら、苦笑いする保乃

「フッタの?」

「え?・・・・うん」

「ふっ、この前彼氏欲しいって言ってたのに」

「いや私だって、誰でもいいわけじゃないからね、好きな人と両思いとか、ちょっとうらやましいなって思ったりして」

保乃は肩にかかるかどうかの髪の毛をいじりながら、ぼそぼそと弁解する。

「ねぇ保乃、ちょっとここ座ってよ」

俺は立ち上がって、保乃に背を向けたまま、ロッカーにおいているカメラケースからカメラを取り出した。

「え?私そろそろ戻らないと、怒られちゃうんだけど」

「すぐ終わるから」

保乃は時計を気にしながら、俺に指図されるがまま窓際の席に座る。俺は2つ前の机に腰掛けてそんなぽかんとしている保乃にカメラを向けた。


「え?ちょっと写真?待ってよ・・汗かいてるし本当に撮らないでよ」

「ただのカメラテストだよ」

両腕で顔を覆い、慌てる保乃にお構いなしに、俺はファインダーを覗き込みながらもう一度レンズを保乃に向けた。



「・・・こっち向いて、保乃」



いつになく低く落ち着いた声が出て、自分でも少し驚いた。保乃もその変化に気づいたようにハッとこっちを見上げる。

「・・・ねぇどしたの?蒼なんかいつもと違う」

机2つ分の距離から見る保乃は、手を伸ばせば届きそうなほど近くて、前の部室からの距離なんて話にならないくらいで、ビー玉みたいにまん丸の大きな瞳に、窓から差し込む夕方になろうとしている西日のオレンジが映り込んだ。


キラキラと光って、それは保乃のためにあるような特別の光に照らされて、すごく綺麗だ


「ねぇ、保乃」


「ん?何?」俺の呼びかけに応える保乃の、口角を上げたその表情が、なんだか無性に堪らなくなって



カシャ




思わず俺はシャッターを切った。




人を撮ったのはこれが初めてだった。







about5 ( 2020/02/01(土) 22:24 )