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近くの図書館に入り浸った。もちろん時間は夕方以降。それ以外の時間だと警察や学校が絡むめんどくさいことになると考えたからだ。あくまでも自らの手で自由を勝ち取りたかった。
児童向けのコーナーになど目もくれず、専門書、特に医学書の棚の前に何時間も居座った。何冊も何十冊も読み漁った。わからないことがあれば館内のパソコンでグーグル先生に頼った。そうして少しずつ妄想だった計画を現実性のある形につくり上げていく。この過程が楽しかったのを今でもすごく覚えている。
計画を立てるだけで半年を費やした。しかし、その分綿密なものになった。両親の人間関係を考えれば、怨恨の可能性はいくらでもある。それに乗じてしまおうという計画だった。実際、嫌がらせというのは多くあった。ことが起きれば警察もまずはその線から捜査をするはずだ。
そして、警察の捜査線上から俺を消すために取る手段は、自分で自分を襲うことだった。計画の全貌を大まかに言えば、両親をめった刺しにしたのちに自分で自分を切りつけるというもの。今思えば安易ではあるが、結局は成功したのだから問題はない。
今すぐに実行というわけにもいかない。今か今かと実行の機を探っていた。
気づけば年度が変わり、桜が舞う季節になった。小学5年に進級したことになる。
『もうすぐで自由が手に入る』
『この地獄から解放される』
これだけを生きがいにして何とか暮らしてきた。今までの我慢が報われる日がもうすぐそこまでやってきている。この家の窓から見えるヤエザクラの花びらが舞うさまを見ながら笑みを浮かべた。
そういえば、花言葉というものの存在が気になって図書館で調べたことがあった。ヤエザクラは確か「豊かな教養」、「善良な教育」、「しとやか」だったことを思い出す。まったくもって自分とは無縁なものだった。それならクロユリでも植えておけばいいのにとまで思ってしまった。
そして、実行の機は突然にして訪れる。報われる日がいよいよ現実味を帯びて自らのもとへとやってくる。