名もなき花の物語 - Take my mind off
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俺には全くと言っていいほど幼少期の思い出はない。いや、正確に言えば思い出したくもない過去だ。
「あの時があるから今がある」なんて言葉がある。皮肉なことだが、良い意味でも悪い意味でも本当にその通りなのだと思う。


あえて思い出すとすれば最悪な幼少期だった。
記憶の中では親の手料理なんか一切食べたことはなかった。せいぜい記憶のある5歳の頃から既に親は両方とも家にはいなかった。散らかったガラスのテーブルの上にはいつも同じカップ麺か数百円が置いてあるだけだった。カップ麺の作り方は教わっていた。今にして思えば親としても、育児放棄が世間に、近所にバレてしまうことを恐れたのだろう。

何度も火傷をした。けど、俺は泣かなかった。何を思っていたのかは今ではわからないが。


家にいなかった親が何をしていたのかは容易に想像がつく。父親とも言い難いそいつは競馬に競艇、競輪からパチンコ、スロットまで。昼間はありとあらゆるギャンブルに手を出し、首が回らなくなるほどまでに借金を負っていた。が、その借金をギャンブルで返そうとするぐうの音も出ないほどのギャンブル中毒だった。夜になると、ない金をはたいてクラブをはしごし、明け方になると風俗へ通い、眠るためだけに家に帰ってきた。むっとしたにおいをその身にまとい、安酒をあおり、眠りにつく。これ以上はないと言えるほどのクズだった。


母親も母親だった。ブランド品を買いあさり、値段が高いだけが取り柄の香水を振りまきながら街へ出かけていく。父親がしない洗濯掃除をやるわけでもなく、俺にやり方だけを教え、母親にとっての家事専用ロボットになることを強いられた。何か一つできなければ平手打ちや拳が飛んでくる。さらに父親が帰ってこないことをいいことに、知らない男を家に連れ込むこともしばしばあった。


こんな家庭環境で育ったわけだが、ずっと疑問に思うことがある。なぜこのクズたちは結婚したのだろうか。極論を言えばそんなことはどうでもいい。なぜ俺を産むに至ったのか。あんな家庭環境だったのだ、俺がいてもただ邪魔なだけだったはずだ。それだけが不思議だった。


もちろん、幼稚園や保育園になんか行っていなかった。だから俺も外の世界を知らなかった。テレビをつけても、どこかここではない世界のような気がして俺のこの生活が普通なんだと思っていた。


小学校にあがるまでは。

Hika ( 2019/06/23(日) 23:50 )