03 疑心暗鬼。
「久しぶりっすね、2人きり」
今日はお嬢様のリクエストで春に俺が呼び出された代々木公園まで来ていた。
秋晴れの空が気持ちいい。
「懐かしいわね、今と昔じゃ大違い」
「そりゃあそうでしょ」
あの頃はそうだ。
まだ春先だった頃のお嬢…。
おっと、危ねぇ。絵梨花さん。
昔と少し雰囲気変わったけど。
いまの雰囲気も俺は好きだ。
「温泉とか行きたいっすね」
「インドアって言ってなかった?」
「たまにゃ外の空気も吸いたいです」
お嬢様呼びが消えてないって?
いや、お嬢様って言ってないから。
言おうとしたけど訂正してるから。
あっちだって、いまでも俺の名前呼ぶ時にちょっと口ごもったりしてるし。
俺だけじゃねーもん。
「おや、絵梨花お嬢様ではないですか」
前から聞き覚えのある声が。
この声は、たしかそうだ。
昨日店に来たあの男だけ。
「…榎本さん」
楽しそうだったお嬢様の声は。
トーンが下がって警戒してる。
初めて見る表情。
「…お久しぶりです」
「え、知り合いなんすか?」
「パパの会社の幹部の1人」
お嬢様のお父さんの側近ってわけか。
なんで俺たちのとこに来たんだ。
「いやぁ、大変でしたよ。代表取締役のお父様が粉飾決算で逮捕され、関係者だった幹部の私にまで捜査が及びましたからねぇ」
「パパが…逮捕されたの?」
「ええ。でも、負債の額も額ですし弁護士を雇う金なんか当然残ってないでしょうから有罪が確定するでしょうかね。ハハハ…」
「ですが、福島亮介社長が拾ってくださいましてね。ぜひ来て欲しいって」
「福島、亮介…?」
「あぁ、すみません。そうでしたよね、絵梨花お嬢様の元婚約者の名前を隠すつもりでしたが勝手に口が動いてまして」
元婚約者。
その言葉は俺にものしかかってきた。
「もう、私はあの人とは関係ない」
「こんどはそちらの方とお付き合いされてるそうですね。色々調べさせて頂きましたよ。お金がない暮らしにも慣れたようで良かったです」
「お金が無くたって私は幸せなの」
「いつまでもお嬢様だと思っていたら大間違いですよ。そんなに甘い世界じゃないので」
さっきから漂う不穏な空気。
男の方はずっと笑っているけど、絵梨花から感じるピリピリした空気。
なんかすごい嫌な予感がする。
「私が用があるのはそちらの方です」
「え、俺?」
「昨日のお詫びをと思いまして」
男が俺に茶封筒を手渡す。
中身は手紙らしい。
「社長がお詫びのパーティーにお店の皆さんをお招きしたいと申されましたので。明日もう一度お店にお伺いするつもりでしたが、丁度良かった」
「絵梨花お嬢様にも久しぶりにお会いしたいと社長から伝えて欲しいとのことでしたので」
「それでは、失礼致します」
男は去っていった。
目の前からいなくなるギリギリまで絵梨花さんは見たことないくらい怖い表情のまま。
去った瞬間に息を吐いてふらつく。
「大丈夫っすか」
「昔、特に信頼してた人だったから」
「昔?」
「私は、もうお嬢様じゃないから」
「私はいまの時間で生きてるの」
俺とは違っていまを生きてる。
なんで俺は出来ないんだろう。
俺だけは変われてない。
「買い物して帰ろ」
「今日は俺が作りますね」
「何作るつもりなの?」
「え、秘密っすよ」
「教えてくれたっていいじゃない」
「けち、大けち。バカ」
「バカって誰のことすか?」
「あな…幸平のことだから」
「あ、俺のこと名前で呼ばなかったっすね。罰金すよ、帰って100円貰いますから」
「ちゃんと名前で呼んだでしょ。だったら、幸平だって心の中で絶対私のこと呼んでない」
うわ、バレてる。
なんだかんだでバレてるよ。
ね、言ったでしょう?
お互い名前で呼ぶと決めたのはいい。
でも、抜けきれない。
お互い前の呼び方になっちゃう。
これでもいいと思ってる。
でも、お互い言い出せない。
負けたくないって。
変な競争心が邪魔してるから。
いつも負けてる俺だから。
今回くらいは勝たせてください。