20 雨の日は。
今日の仕事が終わった。
時刻は24時30分。
なんとか1週間もたせた。
家を出る前。
元気がなかったお嬢様。
いつも通りとか行ってたけど。
嘘が下手だからすぐ分かる。
訳を聞いても曖昧な答え。
「私だって、いろいろあるの」
それ以上は聞かなかった。
そりゃ、お嬢様も辛かった。
辛い思いを沢山してきたはず。
自分の居場所を突然失って。
信じてた人から捨てられて。
それでも、強く立って。
自分の帰るべき場所がなくても。
悲観することなくて、強く。
いまを必死に生きてる。
それに比べて俺はどうだ。
過去に縛られて、未練ばかりで。
過去の自分に言い返せなくて。
過去を受け入れる、なんて言っときながら過去を受け入れきれてない。
他人が母さんに見えたり。
自分がどうかなりそうで怖い。
「幸平、オルガンチノ行くべ?」
「さーせん、明日は駅まで妹を迎えに行かなきゃいけないんすよ」
いつも行くBARもキャンセル。
早く帰って明日に備える。
寝坊したら多分、死ぬかな。
未央奈に殺される。
「あー。あのツンデレ妹か」
「いや、ツンツン妹ですね」
「そりゃご愁傷様だわ」
「また今度参加します」
「おうよ、じゃ、マスターにも話しとくわ。お先っす、お疲れっした」
俺も早く帰ろう。
先輩方も帰ってったんだし。
「お疲れっす」
「おー。お疲れ、幸平」
店の裏口から大通りに出る。
店の近くのコンビニ。
通り過ぎようとした。
「幸平さん!」
「…飛鳥」
「あたしもバイト帰りで」
「あぁ、そう。そっか…」
飛鳥にゆっくり近づく。
そのまま、手首を思いきり掴む。
「えっ、ちょっ…」
「家まで送ってく。こんな夜遅いのに1人でいるなんて危なすぎだろ。ちょっとは自分の身の程を考えろ」
「子供扱いしないでください」
飛鳥は手首を掴んでた俺の手を振り払って、俺の方を見つめる。なんで、そんな悲しそうな目をするんだよ。やめてくれよ。
「別にしてないわ」
「してます。いつまでたっても、あたしのこと子供扱いして。もうお酒も飲めますから」
「ずっと、変わんないよ。飛鳥は」
「変わんない変なサンドイッチ」
休憩中に食べたサンドイッチ。
一口ゆっくり食べた、でも。
やっぱり入ってる。
「ピクルス苦手なんだよ」
「苦手なら克服しないと駄目ですよ」
「うるせぇ」
いつの間にか手首を離していた。
いつもそうだ。
入れて欲しくないのに入ってる。
何回も言ってるのに。
わざと入れてるかと思うくらい。
毎回入れていた。
「休みが合ったら、また二人でどこか少し遠い場所に行きましょう」
「俺のことなんて忘れろよ」
「過去も受け入れきれないで、いつまでも意気地なしの俺のことなんて忘れてくれよ。こんな俺なんかよりも飛鳥には相応しい人がいるんだから。もう、ほっといてくれよ」
肩に雨が当たる。
そういえば未明から降るとか。
天気予報で言ってたの忘れてた。
大粒の雨が降り始める。
飛鳥から顔ごと目を逸らす。
雨に濡れる飛鳥は、いつもと違ってやけに大人びていて少し悲しそうにしている。
ゆっくりと腕を伸ばした飛鳥は、背伸びをしながら俺の体を包んでいた。
「…やめろよ。俺は」
「俺は、何ですか?」
同じ言葉だ。
夢の中で過去の俺に言われた。
また飛鳥にも同じことを言われて。
「いまの幸平さんが好きです」
「昔の幸平さんも、いまを生きてる幸平さんもどっちもあたしは好きです。過去じゃなくて今を生きても誰も責めないですよ」
「どうして、自分のことを大事にできないんですか。背負いこまないであたしにもなんでも話してくださいよ」
何も言い返せなかった。
ただ飛鳥を受け入れている自分がそこにいて、少しだけ解放された気分でもあった。
雨が強くなっても。
飛鳥は離れようとはしなかった。
雨を弾く飛鳥の白い肌。
俺を見つめたままの瞳。
俺も黙ってそのまま動けない。
雨の中、この時間がずっとこのまま続けばいいと少しだけ考えてしまう自分がいる。
駄目だって分かってるのに。
駄目な人間の俺は動けない。
お嬢様を二度と悲しませない。
そう誓ったのに。
俺は、自分の弱さに負けたんだ。