16 帰り道の会話。
さっき、メールが来て。
迎えに行きますってだけのメール。
なのに、遅い!
メールきてからもう30分すぎた。
自分からメールしたくせに。
何かあったんじゃない。
たまには無理をしないでほしい。
逆に彼のお店に迎えに行こうかな。
「すいません、お待たせしました」
「遅かったのね」
「すいません。お客さんからクレーム入っちゃって。それに追われてて遅れちまいました」
「珍しいわね。クレームなんて」
「うちの店もいろいろあるんすよ」
働いてたらクレームはつきもの。
働き始めてそう思った。
「だって、せっかく来たなら最後まで幸せな気持ちで帰ってほしいじゃないですか。それはうちのスタッフたちも一緒ですよ」
そうは言ってるけど。
思った以上にダメージあるみたい。
ちょっとお疲れなのね。
私くらいには愚痴を言ってよ。
彼は明日夕方からだから。
朝のうちにお店に差し入れでも。
みんな大変そうだし。
「ねえ、聞いてもいい?」
「あい?」
「いつになったら、私のことをお嬢様じゃなくて名前で呼んでくれるの」
「だって、俺にとってお嬢様はいつまでもお嬢様のまんまですから」
「もう、私はお嬢様なんかじゃなくなったの。私だってあなたと同じ普通の人間」
全部を失ったあの日から。
私は普通の人間になった。
彼がどんな思いで働いていたか。
お金を返すことがどれだけ大変か。
1円を稼ぐのがどれほどきついか。
いろんなことを教わった。
「あの、提案なんすけど」
「なに?」
「そろそろ、もう少しいいとこに引っ越ししません?部屋も少しずつ探してるんで」
「引っ越し?」
「いま住んでる部屋より駅に近いような条件で探したらいいとこも見つかるかなあって」
引っ越し。
私は数ヶ月しかいなかったけど、彼にとってはここに来てから唯一の自分だけの場所。
引っ越したいと思うのは当然のこと。
「駅から近い方がやっぱ楽ですし」
「私は駅から家までゆっくり歩いてる時の時間が好き。あなたと話してたらあっという間に家に着いちゃうんだもん」
「そんなもんなんすかね」
「そういうものなの」
「あ、あともうひとつ」
「え、なに」
「未央奈が今度東京くるみたいです」
彼の妹。
ということは、彼の部屋にくる。
正直、私は気まずい。
「い、いつくるの?」
「明後日です。金曜に帰ります」
結構いるんだけど!
急にそんなこと言わないでよ。
心の準備に時間がかかる。
「1週間くらいですけど、仲良くしてやってください。あいつ、無愛想でなに考えてるか分かんないですけど。本当は優しくて結構他人思いだから」
私のイメージは。
私以上に肌が白くて。
彼に対して口調が怖くて。
ツンデレ?なイメージ。
「来週の休みの木曜日、あいつとご飯行くんですけどお嬢様も時間空いてたら一緒に行きましょうよ。楽しいっすから」
絶対に嫌な予感しかしない。
彼の休みに合わせて私も休みにしてるから時間は空いてるし予定もない。
完全に行けと神様が言ってる。
「…とびきり美味しいとこにして」
「了解しました」
なんだか嬉しそう。
夏休みに会って以来だけど。
この前の帰省でまだ足りなかったかな。
「もう今日は早く帰りますか」
「あっ、ちょっと!」
無理に作ったような笑顔を見せて、彼は勢い良く走り出した。
自然なほうが何百倍も素敵なのに。
彼には笑顔でいてほしい。
辛い過去があったからこそ。
いまを楽しく生きてほしい。
そうして、彼のそばにいれたら。
私はもうなにもいらない。