11 仕事モード。
「お前、まかないの飯食べた?」
「今日はなんか食欲なくて」
「お前が食わないなんて珍しいな」
航さんと会話しながら6時からの休憩上がりのために準備を進める。
あの後、お嬢様に来てもらって預けてた子供は母親の元へと返した。母親はその後、俺たちに何度も頭を下げて去っていった。
「お前、今日ホールな」
「え、なんでよりによって」
「今日の気まぐれサラダの担当、俺」
気まぐれサラダ担当だったのかよ。
なら、仕方ないな。
ホールの仕事が一番大変なんだよなぁ。
「あー、わかりました」
「ほい、今日の予約リスト」
予約リストは、その日の予約を入れてるお客さんの名前の一覧と人数が記されている。
今日は予約が6組、少ない方だ。
あとは今日のおすすめメニュー。
雲丹たっぷりの濃厚海鮮パスタ、熊本県産赤牛を使用したハンバーグ、ミネストローネ、そして航さん担当の気まぐれサラダ。
「ま、今日を乗り切るしかないな」
「航さんの気まぐれサラダ、変な意味でお客さんから評判あるんすから」
「今日は鰹と鮪の赤身のせでいくわ」
そういう会話してる矢先、6時のディナータイムが始まる。ラストオーダーは10時まで。
今日の俺自身のシフトは9時上がり。
「いらっしゃいませ!」
ホールに入ると自然にスイッチが入る。
働いて2年すぎたけど、ここの従業員のおかげで楽しく働いている気がする。
「予約してた道倉です」
「道倉様ですね、お待ちしておりました。こちらのテーブルのお席へどうぞ」
通常ホールは3人から四人で担当していて、今回は俺の他に新田さんともう一人入ることになっている。他の2人が他に来たお客さんの接客を行なっている。
「これ美味しそうだよ」
「おすすめのこれにしようか」
お客さんの嬉しそうな声。
これを聞くと、どこか安心する。
笑顔でメニューを選んでる時が、俺にとって仕事で一番幸せな瞬間なのかもしれない。
「赤牛のハンバーグのライスセットと海鮮パスタ。あと、今日の気まぐれサラダ2つ」
「かしこまりました」
「この料理に合うお酒ってあります?」
「今日のメニューでしたら、イタリアワインをおすすめしております。渋みが控えめで飲み易いものとなっております」
「じゃあ、それください」
「かしこまりました」
一旦、厨房まで戻る。
メニューの伝票を壁に貼り付ける。
「ハンバーグライスとパスタ。あと気まぐれサラダを2つお願いします」
「うぃー。了解!」
揃った声が厨房から聞こえる。
次にご来店されるお客さんを迎えるためにまた入り口まで向かう。
「いらっしゃいま…」
お客さんと目が合った瞬間、いつもしてるはずの動きが止まってしまう。
それは何を隠そう、飛鳥だったから。
「どうも、こんばんは」
「お、おう。来てくれたんだな」
き、気まずい。
数週間以来だけど気まずすぎる。
なんでこんな不穏な空気が流れるんだ。
「あ、すいませーん。2人で予約してた齋藤なんですけどー」
「あっ、はい!お待ちしておりました。では、こちらのお席へどうぞ」
飛鳥の後ろにいたやけに大人びたもう1人の女性のおかげで不穏な空気は一瞬晴れた。
そういう意味ではほんとに助かった。
いかんいかん。
こんなんで動揺しちゃダメだ。
飛鳥の顔を見てフラッシュバックが。
飛鳥の家でのあの出来事が。
「だって、だって…あたしはっ、幸平さんのことが好きで好きで仕方ないから!」
なにも言えなかったあの時の自分。
飛鳥はこんな俺をどう思ってるんだろう。
意気地なしとでも思ってるのかな。
「わー。ねぇ、これすごくない?すいません、店員さん。このパスタってなにが入ってるんですか?」
「こちらは青森県の平内町産の雲丹とその日の朝に採れた新鮮な海老とあさりをクリームパスタでいただけるようになっております」
とりあえず、俺は俺の仕事をやる。
今できるのはそれだけだから。