03 夕日。
それから明後日が経った日。咲良にとっては東京エクスでの最後の仕事の日。午後5時30分、立花は勢いよく立ち上がり、帰る準備をする。
「はい、今日の仕事は終わりです。今夜は明日もお休みですし、僕の家で咲良ちゃんの送別会も兼ねて飲みましょー」
「…はい?」
おそらく、雅史と李奈が入ってきて初めて立花以外の全員の声がはもった。将太が立花のもとに向かって問いただす。
「咲良が辞めるのは分かってましたけど。課長、急すぎます。今から課長の家に皆で行くんですか?」
「はい、もちろんですよ。僕の奥さんが美味しい料理とたくさんのお酒を用意して待ってますよ。ほら、行きますよ」
咲良と顔を合わせて、首を傾げながら帰る準備をする。今日もまた雅史が一番最後で会社の戸締りをした。
「あの、課長」
「なんですか、太一くん」
「課長って奥さんいたんですか?自分も将太もそんな話1回も聞いたことないから不思議に思ったんですけど」
「それもそうでしょう。だって、僕と奥さんが結婚したのが雅史くんたちが入社してすぐの頃ですから」
「あの、奥さんはおいくつなんですか?」
「今年で24歳ですね。僕が46歳なので、結構歳が離れちゃってます」
立花以外の全員が唖然としている。課長はあまり口を開かないし、何よりプライベートも一切明かさなかったからだ。立花のようなオジサンと咲良と歳が同じくらいの奥さんがいるなんて、誰もそんなこと考えたりしない。
「将太さんって課長の家を知ってるんですか。どんなとこなんすか」
「1回だけある。でももう覚えてない。とりあえず大きかったイメージがある」
「豪邸っすか。やべぇっすね、年下の奥さんなんてもうすごすぎます」
「お前も結婚相手が咲良なんだし、結局は年下だろが。今更課長のことを言うんじゃないよ」
将太が雅史の頭をスパーンと叩く。将太の普段の仕事の中でする太一にするような鋭い一撃。頭を抑えながら会話を続ける。
夏が終わった東京は、夏の暑かった夕方よりも秋の始めの夕方はなんだか過ごしやすかった。
咲良の足取りが少し重い気がする。お腹の中の子供に気を遣っているのかもしれない。
「大丈夫か」
「大丈夫」
少し歩幅を小さめにして、咲良の歩くスピードに合わせて歩く。皆とは少し離れてしまったが、こうした方が良いだろう。
「無理しなくてもいいからな」
「大丈夫。今日は課長が私のために自宅を開放してくれるんだし、楽しまなくちゃもったいないでしょ」
「無理だけはすんなよ。結婚式も3ヶ月後なんだし、ここで体調崩したら元も子もないし」
「分かってるよ」
咲良の左手を取って、雅史は自分の右手で手を繋ぐ。まりやが2人の方へ振り返って、大きく手を振って声をかける。
「咲良、松岡。遅すぎ、先行くよ」
「すいません、すぐ追いつきます」
まりやはまた前を向いて歩き始めた。咲良と付き合い始めた頃のまりやさんは確実にスネてしまっていた。雅史自身がまりやに対して、申し訳なく感じてしまったのも事実。
「雅史、見て。綺麗だよ」
咲良が指さした方には、沈む夕日。
夕日なんて久しぶりに見た気がする。
綺麗だった。それはお世辞じゃない。
オレンジに染まっていく夕方の空。それを咲良と一緒に見れるだけでも、雅史にとっては幸せだった。