01 東京での暮らし。
東京エクスに就職して、はや1年が過ぎた。仕事にも慣れて四苦八苦しながらも先輩や立花課長からの指導を受けて頑張っていた。
「すいません、将太さん。今更なんですけど、質問してもいいですか?」
「なんだよ、雅史」
仕事の途中、先輩の大石将太に質問をする。その質問は至ってシンプルなものだった。
「普通に考えてもスーツなのに、なんで俺達って私服でも大丈夫なんすか?」
スーツはいらないです。課長のその一言でうちは全員が私服。俺も大学の延長みたいな感じで青の七分丈のシャツに黒のパンツを着て出社していた。
「そんなん俺も知らねーよ。課長が良いっていうんだから良いんだよ」
「そうですけど」
「松岡くん、ちょっといいですか?」
そんな話をしていた矢先、立花課長から呼び出される。課長の元に向かうと立花課長の動きが止まった。
「あれ。僕、なんて言おうとしたんでしたっけ?」
え、言おうとしたことを忘れるなんて、なんだよそれ。
課長、しっかりして。
「あぁ、そうそう。松岡くんにもそろそろ本格的に取り組んで頂きたいお仕事があるんですよね」
「本当ですか!?ありがとうございます」
ファイルを手渡される。沢山の資料と紙の多さが手に伝わってくる。手渡されたファイルを何度も見る。
「あ、松岡くん一人じゃないですよ。宮脇さんとちゃんと協力してくださいね」
「え?」
なんじゃそら。じゃあ先に、宮脇さんも呼んでくれよ立花課長。一人舞い上がった自分が異常に恥ずかしい。
「それじゃあ、松岡くんと宮脇さん。新入社員どうしで頑張ってください。それじゃあ、僕は少し出掛けてきます」
立花課長は席から立って、鞄を提げて素早く去っていった。重いファイルを自分のデスクに移動させて宮脇さんと顔を合わせる。
「松岡くん、大変だね」
「まぁね。チラッと見えたんだけどなんか猫に関するエッセイ本らしいよ。どういう風に編集するかちょっと話し合おっか」
「うん。それじゃあ、あっちで」
ファイルと数枚のルーズリーフを持って、宮脇さんと打ち合わせ。どういう仕上げにするか、著者がどのようにしたいかという願望を出来る限り叶え、どうやったら多くの人に手を取ってもらえるか考える。
「猫に関するエッセイだったら、谷田さんの愛猫の写真をエッセイの途中で挟んで可愛さを沢山の人に知ってもらうってのは?」
谷田さんはこのエッセイ本の著者さん。数ヶ月前に女の子を出産した新婚の奥さん。生まれてからずっと猫に囲まれた環境に育ち、無類の猫好きになってしまった。そんな愛猫とのブログがいつしか注目されて、本を出すことになったとか。
「でも、この猫超カワイイ」
宮脇さんは猫の写真を手に取って、うっとり見惚れている。逆に俺はいくつかのアイデアをルーズリーフにまとめて絞っていく。
どうせなら、もっと谷田さんの意見を聞いて本を編集したいと考えた。
「明日か明後日ぐらいにアポとって、なんとかもう少し谷田さんと話し合って、最終的にどういう風にするか決めよう」
「そうしよっか」
「お二人さん、頑張ってるね」
一旦、打ち合わせを終えた俺たちに一人の女子の先輩が近づいてくる。俺よりも一つ年上の永尾まりや先輩だ。
「まりやさんもちゃんと仕事やってるんですか?あんまり見ないですよ」
俺がそう言ってもまりやさんは気にしてない様子だ。それから、入社してわかったことはもう一つ。課長以外は全員名前にさん付け。何年か前に課長が制定したルールらしい。
「アタシは大丈夫。それより、咲良さ、松岡の言ってることにただ流されてるだけじゃーん。もう、そんなんじゃ駄目だよ」
宮脇さんの頭を紙で丸めたもので軽く叩く。宮脇さんは舌を出してそれを受けていた。
「雅史、お前なぁ!」
そう言ってやかましいまま俺の元に向かってきたのが将太さんの同期の石本太一さん。
丸メガネと天然パーマが特徴的な人。ああ、いかにも本関係に携わる人だって最初に直感した人でもある。
「エッセイ本っていってもなぁ、ちゃーんとどういう風にすればただのエッセイ本じゃなくてもうひと段階上のエッセイ本になるか考えるんだよ。本の気持ちを考えろっ」
抽象的すぎる。具体的にどうすればいいのかもっと述べてください。とまあ、こんな人たちに囲まれてなんとか1年を乗り越えてきた。
今はすごく仕事が楽しい。立花課長や先輩たちのおかげだと思ってる。それから、同僚の宮脇さんと協力しながら頑張っている。
たまにふと頭に浮かぶ。あいつはいつも通り一生懸命やってんのかな。
今頃、あいつは何してんのかな。
富山で頑張ってんのかな。