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篠田は走った。
図書館のある場所から渋谷まではかなりの距離があったが、無我夢中になって全力で走った。
何度か連れてきてもらったクラブ、サンタルチアに到着すると、まだオープン前であったが、ドアに触れると鍵がかかっていなかったため、中に恐る恐る足を踏み入れた。
以前来た時のように、大音量のクラブミュージックはなかったが、店の奥から複数の男性の騒ぎ声がしていた。
その出どころはフロア奥のVIPルームから聞こえてきており、そこには聞き覚えのある足木という人物の声もあった。
勇気を出して、ドアをノックしようとしたその時、VIPルーム内の会話から気になる言葉が出てきていた。
「それにしても足木さん、緒方のこと、どうするつもりっすか?」
今日ここに来たのは、緒方に会いに来たためであったが、彼のことを話しているとなると、恐らくこの場所には本人はいないということなのだろう。
そうでもない限り、会話の話題として人の話題は切り出さないはずだ。
「もうアイツも使えないからな。そろそろ鉄砲玉にでもなってもらって、どっかで身元不明とかにでもなって、海にでも浮かんでてもらうか」
耳を疑うような言葉だった。
あんなにも緒方は足木のことを信用していたのにもかかわらず、彼はただの駒としか思われていなかったのだ。
ショックよりも怒りに近い感情を抱いた篠田は、叩こうとした扉を黙って開き、彼らの会話の中に割って入っていった。
思わぬ来客に、部屋の中にいた全員が一瞬静まり返ったが、見知らぬ人物であることに気付くと、如何にも下っ端のような何人かのチンピラたちが座っていたソファーから腰を上げ、こちらを睨みつけてきていた。
「えっと、ごめん。君、誰だっけ」
足木が不思議そうにこちらに尋ねると、傍らに立っていたいつぞやのスキンヘッドの男が、彼に耳打ちをしていた。
「ああ、緒方のツレの子か!どうした?またお金が欲しくなって来たの?」
足木は内ポケットから札束を取り出して、それを篠田の前に放り投げると、ソファーにふんぞり返りながらニヤニヤとこちらを見ていた。
お金を見せれば、すぐに飛びつくとでも思っているのだろうか。
足木に対して完全に怒りを覚えた篠田は、手を握りしめたまま、彼を睨みつけていた。
「緒方がどんな思いで、あんたに着いてたのか、分かってんのかよ…」
「うん?ごめん、聞こえなかった。なんだって?」
「アイツは、アンタのこと信じてたんだぞ」
「ふーん、そうなんだ。それで?」
「"それで"って…。そんな人間を簡単に駒みたいに扱って捨てるのかよ!」
怒りに身を任せたまま、頭から湧き出る言葉を全て感情に乗せて叫んだ。
だが相手は、何一つ取り乱す様子もなく、至って冷静な顔つきのままこちらを見返していた。
「だって駒だろ。あんなの」
「はっ…?」
「言っとくけどな、俺が面倒見てやってたのは、アイツを駒にするための教育だよ。10代のガキほど扱いづらい物はないからさ、煽てて煽てて、こっちに尻尾を振るようになるまで"しつけ"してたに過ぎないの」
「アンタそれ、本気で言ってるのか…?」
足木の年齢は聞いたことはなかったが、見た目は20代後半ぐらいなのか、とても若く見えるが、それでもこのまとまりのない半グレ集団をまとめ上げている人物ということもあって、とても落ち着いていた。
正気の沙汰とは思えない人間ぶりに、怒りを通り越して呆れを感じてきた篠田は、握りしめていた手を少しずつ開いていった。
「アンタの言うことなら、緒方はもう使えない駒ってことなんだな?」
「うん、まあそういうことになるね」
「なら、緒方は俺が連れて帰る」
「ほう。連れて帰ってどうすんの?二人はもう絶交したんじゃないの?」
ニヤニヤとしたままこちらを見ている足木に、篠田は力強い目で睨みつけたまま、言葉をつづけた。
「そんなわけないだろ。俺はあいつの友達なんだ。友達守んのが、友達の役目ってもんだろ」
篠田の言葉に辺りは一度しんと静まり返ったが、足木の高らかな笑い声で再び騒がしさを取り戻した。
「アッハッハッハ、お前面白えな!今時、そんなマンガみたいなこと言うやつ、初めて見たよ。はあ、ひっさびさに笑ったわ」
「別に真面目に言っただけなんだけど」
足木は笑いすぎて涙が出てきたのか、目元を指先で拭いながら、分かったと一言言うと、腰を下ろしていたソファーから立ち上がり、ゆっくりと篠田のもとに近づいてきた。
「好きにしろ。どのみち用済みだったんだ。勝手に持って行ってくれる方が、こっちとしても処分に困んなくて済む」
「意外とあっさりしてんだな」
「俺は過去は引きずらないタイプなんだよ」
彼が何を考えているのかは定かではなかったが、この状況はこちらにとっても願っても無かった状況であったため、篠田はその言葉にうなずくと、静かに部屋を後にした。
追っかけるように睨みつけてくる周りのチンピラの目が痛かったが、そんなのに気にも留めていられるほど、内心落ち着いてはいなかった。