05
4月もあっという間に過ぎ去り、5月の暖かな空気に日中でも眠気を感じてしまうようになってきた頃。
篠田は一人、学校の屋上で備え付けのベンチの上に横になり、スマホを横にして動画をじっと見ていた。
最近買い替えたばかりのワイヤレスイヤホンからは、一人の女性が口頭で説明しながら、手話の解説をしている声がとてもいい音質で聞こえる。
金村から貰った教材も半分ほど読み進むことができ、なんとなくだがそれぞれの手話の意味が分かるようになってきていた。
学校内の人間は彼を見かけても、基本的には声をかけてこない。
生まれつきの紙の色素が薄かったため、それを変に誤魔化すぐらいならと高校入学時に染め上げた派手な髪色ともともと不愛想な表情や態度から、生徒や教師たちからは、腫れ物に触るように扱われ、好機の眼差し、恐怖感、苛立ち、様々な感情を周りに与え続けていたことを彼は知っている。
それを一つ一つ相手にしていくのを面倒に感じ、自分について騒ぎ立てる周りの雑音を耳にしたくないと、"音を毛嫌うよう"に遮って相手にしないでいたら、彼の周りには人が寄り付かなくなってしまった。
「ここにいたのか、探したよ」
ベンチに寝転がる篠田を、緒方は顔を覗き込んできた。
校内で塞ぎ込んでいた彼に、唯一真正面から向き合ってきた人物こそが、緒方であった。
篠田と同じ様に校内で浮いた存在だった彼は、二年の時に同じクラスになった篠田にシンパシーを感じ、積極的に関わりを持ちたがった。
当初は篠田も全く相手にしていなかったのだが、めげずに何度も声をかけてくる彼に、次第に心を開くようになり、彼とは正真正銘の友人になれたつもりでいた。
「何見てんの、AV?」
「そんな訳ないだろ」
「うん?ああ、手話のやつね。相変わらずお勉強熱心だこと」
彼に初めてSLOWの集会場に連れて行ってもらったのは、まだほんの数か月も前のこと。
冬休みの時、彼と共に渋谷で遊んでいた際に、SLOWの同じメンバーと街中でバッタリ会い、そのまま連れて行ってもらったことが最初だった。
音を嫌う彼にとって、クラブなどといった場所は一番騒々しい場所であったが、友人の頼みだと我慢して一緒に付いていった。
「なあ、緒方」
動画を閉じ、ゆっくりとベンチから起き上がった篠田は、フェンス沿いに立って、校庭で部活動に勤しんでいる他の生徒たちを見下ろしている緒方に声をかけた。
緒方はゆっくりとこちらを振り返り、いつものように表情筋緩めで聞き返した。
「うん、どうした?」
「俺、SLOWの集まりにもう付いていくのやめるわ」
篠田の言葉に普段にやにやと笑っていた彼の表情が、少しずつ静かになっていくのが分かった。
「なんで?」
「特に理由はないんだけど、もともと俺には関係のないことだったし。どっかで手を引かないといけないかなって前々から思っていたからさ」
「SLOWはお前が思ってるようなグループじゃねえよ。足木さんだって、いい人だったろう」
ふと表情をまた元の笑顔に戻した緒方は、篠田の横に座り、彼の肩をポンとたたく。
「そうなんだけどさ」
「あっ、分かった。例の耳が聞こえない女のためだろ?」
相変わらず素っ頓狂なことで言葉を遮ってくる。
だが、その一つ一つの言葉にいつものような余裕ぶりは感じられなかった。
「大丈夫だって。ウチのグループは"女・子供には一切手を出さない"っていうのがモットーだから。お前の周りにも迷惑は掛かんねえよ」
「そうじゃなくて!」
話を全く聞き入れてくれようとしない緒方に、篠田は思わず声を荒げた。
緒方は相手から出ると思っていなかった強めの言葉に驚いていたが、何よりも篠田自身が感情を剥き出しにした自分に驚いてしまっていた。
慌てていつものように冷静を取り繕おうと、気持ちを少し落ち着かせてから、再び声を出した。
「もう関わりたくないんだよ」
「なんだよそれ。俺、前にも言ったよな?お前のことは"信用している友達"だって話してるって!」
今度は比例するように緒方の口調に熱が籠ってくるようになった。
普段はケラケラ笑っている彼の様子からは想像できないぐらい、その眼差しは鋭く感じた。
「お前には悪いと思ってるよ。だけど俺はただ普通に生きたいだけなんだ」
「俺を裏切るのかよ」
鋭く睨みつけてくる彼に篠田は視線を返すことが出来ず黙っていると、痺れを切らした緒方は、それ以上何も言わず、屋上から出て行ってしまった。