08
昼休み。自由に解放されている屋上に上り、校内の自動販売機で購入した紙パックの牛乳を飲むのが彼の毎日の習慣であった。
屋上に張りめぐらされた緑のフェンスの向こう側には、校庭で昼練習をしている陸上部たちの姿が目に入った。
授業の休憩のための昼休みだというのに、よく動けるものだと皮肉も込めて感心しながら、篠田は紙パックに突き刺したストローを口に咥えて、牛乳を少しずつ飲んでいた。
「それで、その子のことがずっと気になってるのかよ」
篠田の横でフェンスを背に座り込んでいる緒方が、購買で購入した総菜パンを口にしていた。
「別に、気になってなんか無いよ。ただ面白い子だなぁって思ってただけ」
「ふーん」
それを世間は「気になっている」と言うのでは、と緒方は思ったが、それをわざわざ口に出すほど、総菜パンをほおばる彼の口は開いていなかった。
パンをゆっくりと飲み込むと、紙パックのお茶で口の中を流してから、ようやく緒方はまともな会話を始めた。
「でもさ『耳が聞こえない』って、あんまりピンと来ないよな。目が見えない人は、点字ブロックとかの上歩いてたり、なんか杖みたいなの持ってたりしてて分かりやすいけど、パッと見た感じじゃ『私、耳が聞こえません』って言われても分かりにくいし、じゃあ耳が聞こえないから、どうやってコミュニケーション取りゃいいんだってなって、それだけで絡むの面倒に感じちゃうよな」
「なんだよ、いつになくまともなこと言うじゃないか」
いつも素っ頓狂なことを話してくる彼から出てくるとは思っていなかった言葉の数々に、篠田は少し面食らっていると、緒方は飲み干した紙パックを総菜パンが入っていた袋にぐちゃぐちゃにまとめて、ゆっくりと立ち上がり、彼と肩を並べた。
「まあ要するにさ。そういう人たちと俺らとでは"住む世界"が違うってことだよ。別にどっちが良いとか悪いってことでもねえんだけどさ。見えてるものも違うし、感じてることだって全然違う。分かり合いたくても、俺らには一生分からない世界なんだから、変に関わるのは止めておいた方が、お前にとっても後々楽だと思うぜ」
そう言ってスマホをいじりだした彼を横目に、篠田はストローから牛乳を、また一口吸い上げた。
同じ頃、日向坂高校の3年2組の教室では、小坂の周りを生徒が囲むようにして、楽しく談笑しながら、お弁当を食べていた。
「えっ、それじゃあ、その男の人、友達になってくれたの?」
浮ついた話が大好きな丹生明里が食事をそっちのけにして、前のめりになって話を聞いてきた。
「そう。結構時間かかるかなって思ってたけど、意外と優しかったよね」
金村が同時通訳のように手話をしながら、小坂に伝えると、彼女はうんうんとお弁当とお箸を手にしたまま、首を縦に振った。
「でもさ、"野田高"って言ってたけど大丈夫?」
弁当箱に入っていたブロッコリーを口にする前に、クラスメートの渡邉美穂が尋ねてきた。
「大丈夫って、どういう意味?」
「あくまで噂でしかないんだけど、あの学校の男子生徒の何人かが、半グレと繋がってるっていう話」
「えっ、半グレ!?」
渡邉の言葉に丹生が過剰反応のように大きな声で返し、クラス中の注目が彼女たちに集まった。
周りの生徒達には何度もないと苦笑いを浮かべ、渡邉が丹生に注意をした。
「にぶちゃん、声大きい!」
「あっ、ごめん・・・!思わずビックリしちゃって・・・」
「でも私、そんな話聞いたことないよ?」
「あくまでも噂よ、噂。私も学校で誰かがそう話してたのを聞いたぐらいだから、本当かどうかは知らないけれど」
「うーん、篠田君は見た目は不良みたいな感じしてるけど、少なくとも私が話した限りでは、そんな感じはしなかったかな」
ふと小坂の顔を見ると、周りの視線が一瞬集まったことに心配を感じて不安げな表情を浮かべていたので、金村は彼女に何でもないよと手話を返した。