第三章『住む世界』
07
 春休みもあっという間に過ぎ去り、新学期が始まった。

 昼夜逆転生活から、元の生活リズムに戻すのに、かなり苦労したが、何とかいつも通りの時間の電車に乗り込むことができた。

 列車のドアが開き、中へと入ると、いつもの特等席の場所に彼女が立っていた。


「あっ、小坂さん」


 こちらが気付くと、向こうも気付いたようで、小さく手を振って笑顔を見せてきた。

 彼女のそばに立つと、携帯を開いて、トーク画面から彼女に声をかけた。


[おはよう。こんな時間に乗ってるなんて、珍しいね]


 彼がそうメッセージを送ると、彼女はふふっと微笑みながら、返事を送ってきた。


[私、実はいつもこの時間の電車に乗ってたんですよ]


 その文字に篠田は目を丸くさせ、思わず顔を上げた。彼女はそれを見て笑顔を見せ、にこやかに返事を続けた。


[いつもこの時間、この駅から乗ってくる金髪頭の学生さんが、他のお客さんに比べて、すごく目立つなあって思いながら見てたんです]

[じゃあ、この前は何でこの場所に?]


 彼の問いかけに、彼女は少しうーんと考えてから、返事を画面に打ち込んだ。


[どんな"景色"が見えるのかなって気になって]

["景色"?]

[いつもヘッドホンしながら、この場所に立って、窓の外を見ているでしょう?音を遮ってまで、篠田君が見たい景色ってどんなものなんだろうって、気になって]


 彼女は書いていることに恥ずかしくなってきたのか、少し唇を甘噛みしながら、返事を書き連ねた。


[あの日は私もたまたま早い時間に目が覚めて、あの時間の電車に乗ったんです。篠田君は来ないだろうと思って、ここから景色を見ていました]


 だからあの日、小さなトリケラトプスのぬいぐるみのキーホルダーを拾ったあの日、彼女が自分の特等席に立っていたのかと、ようやく篠田の中で納得することができた。


[あの日も篠田君が目の前にいたこと、私気付いてたんです。まさか乗ってくるなんて思ってなかったからビックリしちゃって、キーホルダーを落としたことにも気付きませんでした]


 ガタゴトと電車の音が鳴り響く車内の中で、彼らの静かな会話は大いに盛り上がっており、先に降りる彼女の駅まであっという間の時間が過ぎ去った。

 すると彼女が窓の外を見て、ふっと何かを思い出したかのように、画面に入力する。


[そろそろ私、乗り換えないといけないから、降りないと]


 彼女がそう送信すると、車内に到着間近のアナウンスが流れだした。

 あの時と全く同じ違和感を覚えた篠田は、正直に彼女に尋ねてみることにした。


[この前の時もそうだったけど、なんでそろそろ降りる駅だってわかるの。ドア上のモニターも見ていないのに]


 乗降口の上には小さなモニターが二つ置かれており、そこに次の到着駅が、日本語や英語など様々な言語で表示されるようになっている。

 だが彼女がいつも動き出すのは、それが表示されるよりももっと前からであった。


[流れてる景色で何となく覚えてるんです。そろそろ駅が近いなって]


 まだまだ知らない彼女の素晴らしい特技に、篠田は驚いてばっかりであった。

 乗換駅に到着し、人込みをゆっくりとよけてホームに降り立った小坂は、後ろを振り向いてゆっくりと閉まったドア越しに、彼に向って優しく微笑みながら手を振った。

 篠田もそれに同じように返すと、電車はゆっくりと動き出し、彼女の姿が遠く果てまで見えなくなるほど速く連れ去っていった。

■筆者メッセージ
嬉しいコメントにニヤニヤとしながら、気持ちよくお酒を飲んでいます笑
黒瀬リュウ ( 2021/10/14(木) 17:00 )