第五章:理想と現実
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 杏奈は一人、映画を観に来ていた。小林旭の『南国土佐を後にして』である。浅岡ルリ子との別れのシーンで涙している観客が多い中、彼女はただただぼおっとスクリーンに映る小林旭の顔を見つめていた。

 映画が終わり、一人館内から出ようとすると、外は雨が降っていた。始まる前まではまったくそんな様子はなかったのだが、かなりのどしゃ降りに、皆困っている様子だった。杏奈もその中の一人で、まるで今の自分の心を表しているようだと自嘲して、鼻で笑っていると、突然声をかけられた。ふと振り返ってみると、いりやまに何度か出入りしている客の田中であった。

「杏ちゃん、一人かい?」
「そうだけど」
「退屈だろそんなんじゃ。どう?新宿まで出ない?面白い店があるんだけど」

 彼の言葉は自暴自棄になってしまっている今の彼女の心に、すっと染み込むように入ってきていた。

■筆者メッセージ
ちょっと今回は短めの更新です。

次回からまた新たな章が始まります!

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黒瀬リュウ ( 2017/05/25(木) 13:17 )