第五章:理想と現実
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 そして迎えた七夕祭りの日。
 子供たちの楽しそうに外をはしゃぎまわってる声が聞こえる中、章一はアパートの部屋で一人、オリジナル楽曲の制作にいそしんでいた。

「忘れはしない。きっといつまでも。あなたのことを。」

 頭の片隅に一人の女性を思い浮かべながら、彼は曲を作り続けていた。ふと時計に目を向けると、六時十分を過ぎていた。

 そのころNEW SHIPでは竜三がコーヒーを飲みながら、マスターを会話をし、杏奈は一人、章一の到着を待ち続けていた。その姿は目いっぱいおしゃれをして、メイクまで済ませ、普段の割烹着姿の彼女からは考えられないほど、美しい姿であった。
 そんな彼女にマスターは、ウエイトレスの榛香にコーヒーを運ばせた。

「はい、これマスターから」
「あっ、ありがとう・・・」
「章一さん、遅いね・・・」

 そんな中、竜三は現在取り掛かっている作品について、カウンターでマスターと語り合っていた。

「へえ、"隠れキリシタン"かぁ。こりゃまた、難しいの選んだね」
「せやろ。だけどテーマとしてはおもろい予感がプンプンすんねん」
「確かに」
「ほんでな、賭場でイカサマがバレたイカサマ師が、妹に兄はキリシタンでございますと訴えさせて、奉行所の牢屋に入ってくるとっから話は始まるんやけどね」

 竜三は一人でつまらなそうにしていた杏奈の時間潰しのため談笑をすることにして、彼女と共に楽しんでいる榛香の耳に、あえて聞こえるように大きな声で内容を話した。

「でもヤクザの追手からは逃げられても、キリシタンで捕まっちゃったら、張り付けの刑になっちゃわない?」
「知らんの?踏み絵。お裁きで踏み絵を踏まへんかったら張り付けやけど、踏んだら転び宗門ちゅうことで放免なんですわ」
「はあ、それで踏み絵を踏むんだ?」

 マスターの言葉に竜三は目を輝かせながら答えた。

「いや、本人もそのつもりやったんやけどね。牢屋の中で本物の可憐なキリシタンと出おうて、一目惚れしよったんやな、このイカサマ師が」
「馬鹿だねぇ」
「んで、この娘と賭けをするわけやね。丁半で。"天国はあるか、無いか"」
「イカサマ師だとどうにでもできるってわけだ」
「そう、イカサマで天国はあるっちゅう目を出したるんや。娘のためにね」
「ハハッ、サルトルの"賭けはなされた"だ」
「ズバリ、"実存主義"ってことやね」

 店の中には四人しかいなかった。男性陣は竜三の話で盛り上がっていたが、女性陣は雑誌に載っていた銀幕スターの話についてもちきりだった。
 竜三の話に興味を持ったマスターは、彼の手元に置かれてある原稿用紙を手に取った。表紙には、立派な挿絵とタイトルが書かれてあった。

「ほほう、"踏絵黙示録"。なかなかいいタイトルじゃない。フフッ。ん・・・?」

 ページをめくれども、原稿用紙のマス目には、一言も文字が記されていなかった。

「えっ、まだ表紙だけ?」
「ま、まあ、追々ね・・・」

 歯切れを悪くして竜三は、慌てて万年筆のキャップを閉め、奪い取るようにマスターから原稿用紙を返してもらった。

■筆者メッセージ
こちらもだいぶ久しぶりの更新となってしまいました。

ゆっくり更新していきたいと思いますので、改めて最初から見直していただけたら嬉しく思います。

作品に関するご意見やご感想、その他等々のコメント、お待ちしております。
黒瀬リュウ ( 2017/05/16(火) 23:13 )