08
会計を済ませ、向井、横山、村岡の三人は先に店を出たが、井上は杏奈に話があると言い少し店に残った。
テーブルを布巾で拭きながら、彼女はギターケースを携えている彼に話しかけた。
「本当に帰っちゃうんだ、北海道」
「うん。あっ、でも歌は続けるから。歌は僕の命だから・・・」
「私、待ってる」
彼女のその一言に、井上は目を輝かせた。
「ホントに?」
「うん。何年先も待ってるから。だから、またあなたの歌を聞かせて」
「わかった、約束するよ」
いい雰囲気の中、じいっと見つめ合っていると、大介が大きな声で杏奈を呼んだ。
「おい、杏奈。油売ってないで、さっさと仕事手伝え」
「あっ、うん。じゃあ」
「それじゃあ」
二人は軽く手をあげ、井上は店を出た。外には先ほどの三人が待っていてくれていた。
「章一君。北海道に帰っても、手紙書いてくださいよ?」
「はい、村岡さんには同じ下宿先でも大変お世話になりましたし。絶対に書きます」
「お互い、もう二度と会うことはないだろうけど」
そう言って横山が差し出した手を、井上は笑顔で握った。
その様子を腕を組んでみていた向井はしみじみとしながら語りだした。
「歌手に、絵描きに、漫画家に小説家。それぞれ目指す道はみんなちゃうけれど、まあいっぱしになったら銀座かどっかで会うこともあるやろ」
彼の言葉に村岡が小さく頷いていると、商店街のほうから一台の自転車が近づいてきた。
「章一さん!」
「あっ、裕ちゃん」
勝間田裕二、岩手から集団就職でやってきた青年で、現在は岩田商店に努めている。
「これ、列車の中で食べてけろ」
「わぁ、おにぎり?しかもまだ温かい!」
「おっきいの作ったから、これ食べて、向こうでも頑張ってほしいですから」
「ありがとう、裕ちゃん」
「ほう、これは美味しそうやな」
「おやつにちょうどいいね」
そう言って、おにぎりに手を伸ばそうとした向井と横山の手をぴしっと勝間田は払いのけた。
「だめだっちゃ!これは章一さんのや!」
「そんな怒らんでも、冗談やさかい」
「いいんだ、裕ちゃん。ありがとう」
そう言うと井上は嬉しそうにおにぎりが包まれた箱を、カバンの中に入れた。
村岡は黙ってその様子を見ていると、彼に向井が話しかけてきた。
「二十五分間。おかあはんの手、温かかったわ。一生忘れへんで」
「ありがとう、向井さん」
村岡は彼と誠意を込めて握手をした。
「自分が母親にできなかった分、親孝行させていただきました」
「ありがとう、横山さん」
「お母さん、大事にしてあげてください」
「うん。ありがとう、章一君」
村岡が他の二人にもしっかりと握手を交わした後、勝間田が井上のギターケースを乗ってきた自転車の後ろ籠に乗せた。
「駅までおくっから」
「あっ、いいよ!自分で行けるし・・・」
「送らせてけろ。オラ、章一さんのこと待ってっから。オラずっと、章一メロデイのフアンですから」
そういって自転車を押して歩きだした勝間田の後を井上は追いかけていった。それをきっかけに、向井と横山の二人もそれぞれの道へ向かって歩き始めた。
こうして些細な出来事をきっかけに集まった四人は別れを告げたのであった。