第一章:大都会東京
05
 板橋に向かう道中、母、キヌの様態が急変した。突如腹部を抑え、痛みを訴えだしたのである。

「汽車から・・・、降ろしてくれんけ、栄介・・・」
「先生!なんとかしてください!」

 廊下でただ呆然と立ち尽くすだけのインターンの医者。という設定に置かれている向井に何も事情を知らない咲良は痺れを切らし、彼に救いを求めた。が、当然彼には医学の知識など全くない。あるとすれば心肺停止時に行われる人工呼吸の方法のみである。
 しかし彼が戸惑っている間にキヌはどんどん苦しんでいく一方であった。村岡は母親の背中をさすり、手を握りしめながら、傍らで励まし続けた。

「母ちゃん、もうちょっとや。もうちょっとやぞ」
「魚津で・・・、死なせて・・・!」
「先生!」

 息を切らしながら苦しむ母に耐え兼ね、村岡も思わず向井に助けを求めた。あまりに何もしないのはさすがに不自然だと、彼に訴えるためである。
 その思いが届いたのか、向井は大きく深呼吸をすると、そばに駆け寄り、キヌの手を握った。

「脈を拝見いたします。脈は正常ですわ。熱もありまへん・・・。もうちょっとの辛抱です・・・。出来ますね・・・?」

 それがどれだけ無茶な頼みであるか、向井自身わかっていたが、医者に診てもらっているという錯覚からか、痛みに耐えながらもキヌは少し落ち着きを取り戻した。
 目的地まで付く間、向井はぎゅっと両手で彼女の手を握りしめ続けた。

黒瀬リュウ ( 2016/06/29(水) 13:08 )